はやりのもの

私は流行しているコンテンツに乗るのがあまり得意ではない。アニメや漫画などの"旬ジャンル"と、なんとなく距離を置こうとしてしまう。(現在メインでハマっているジャンルのことを考えるとあくまで原則ではあるが)

自分の好きなものが話題になるのをなんとなく気恥ずかしく感じるのもあるし、趣味を通した交流をしようとしたときにファンの母数が多いとそれだけ苦手なタイプの人間と出会う確率が高くなるというのもある。

言い方は悪いがオワコンが好きだ。開拓され尽くし供給も途絶えたジャンルはリアルタイムで追いかけなければならないものが特にないため、自分のペースでゆっくりと作品理解を深めることができる。

旬のジャンルだと目まぐるしく更新される情報の洪水を受け止めるのが精一杯でなかなか腰を据えて作品を見つめるというのができなくなってしまう(あくまで私は、の話である)。

 

結局何が言いたいかというと、少し今の状態に疲れてしまっている。

本来嬉しいものであるはずの公式からの供給があまりにも私にとって多すぎるためにそれらを網羅するのがどこか義務のように感じてしまい、「義務」を果たしたあとはTwitter上で繰り広げられる感想やファンアートの早出し合戦をぼんやりと眺め、少しのタイムラグを置いて自分も大してまだ煮詰め切っていない考察から絞り出した二次創作を投稿する、というのが毎回の一連の作業のようになってきている。

 

インプット・アウトプットの早い人にとっては旬のジャンルというのはその属性なんかが自分の趣味と合致していれば肌に合う上に同じ話題を共有できる人口が多くかなり楽しいものなのであろうが、何ヶ月も(ときには年単位で)ひとりのキャラや一部のストーリーを切り取ってネチネチと考察をするタイプである私にはあまりにも急流すぎるなあ、と時々思うのだ。現に未だに現ジャンルの推しの解釈がブレにブレる。それも新しく出る情報からではなく既出の情報を整理した結果、である。

 

二次創作の規模が大きいというのも疲れるポイントのひとつではあるのだと思う。フォロワーを多く抱えたファンの発言が準公式のようにもてはやされるのを眺めたりそれをもとに解釈の「答え合わせ」をすることや、常に何か創作や考察をしてかじりついていないと置いていかれたような感覚になることに違和感を覚えている。何ヶ月もじっくりキャラの考察を練っている間に界隈のトレンドは全く違うところに移行し、モノによっては「これは〇〇の情報が出る以前の創作である」と注意書きをしなくてはいけなくなってくる。あらゆる地雷に配慮した注意書きにはかなり好意的なのだが、なんだかなあとも思う。

簡単に言ってしまえば、もうこれ以上進展のない状態、要は完成品が用意されている作品を端から端まで解読し考察するのが好きというか性に合っているのだろうなと思う。本家の絶対的な答えが前提として存在しており、我々受け取り手はストーリーに存在する余白に思いを馳せるといったある種の主従関係というか、公式とファンとの力関係がハッキリとしている作品が好きだ。

 

ここまでまるで現ジャンルに不満があるようなネガティブな文章ばかり書いてきたが、何を隠そう好きだから降りずに食いついているのである。脚本やキャラクターに若干の破綻はあるものの、なんだかんだそれも込みで結構好きなのだ。

ただ、オワコンの解釈をひとりでネチネチ煮詰めている時よりもストレスを感じる機会が圧倒的に多いので、自分の精神衛生のためにもなんとか旬ジャンルとうまく付き合える方法を探さなければなあ、と思っている。