承認欲求の話

日記は一日一回、その日の「まとめ」を書くものだとは思うのだが、紙媒体で日記をつけていた頃から思いついたときに思いついたことを書き殴っていた。ので、故に、の連投である。Twitterにリンクを投稿した時のサムネの確認も兼ねていると言い訳だけしておく。

 

今回は承認欲求の話だ。端的に、まあまあ強くて困っている。というかプライドの高さと求める評価が実力に見合っていないなあと思っている。

 

主に承認欲求を満たす場としているのがTwitterに投稿する二次創作なのであるが、これまでいたジャンルと比べて現在活動拠点としているジャンルは規模が大きい上に現在進行形で進んでおり、活気がダンチである。当然ファンも多い。石を投げれば同ジャンルのオタクに当たると言ってもまあ過言ではないだろう。

 

これが私の承認欲求に火をつけてしまった。

 

 

ジャンルの規模が大きいので絵のクオリティが大したことのないものでもある程度拡散されてしまい、しかし今のところありがたいことに目に入るのは肯定的な感想ばかりである。これを繰り返していくうちにだんだんと感覚が麻痺し、自分はもしかしたら絵がメチャメチャ上手いのではないかと思い上がり、じゃあどうしていいねがこれっぽっち(失礼)なんだ、と頭を掻き毟る羽目になる。実力に見合っていないプライドの育ち方をしたせいでセルフ引用リツイートや時間差でのコメントなどでなんとかしてできるだけ多くのフォロワーに見てもらおうとする工作も苦手である。(そんなことをしなくてもいいねがたくさんもらえると思い込んでいるため)

こうやって悩みながらも非常に調子に乗ってくると、どこかで他者への攻撃的な部分が出てきてしまう。有り体に言ってしまえば自分よりも閲覧数のはるかに多いネタ絵師やタグ絵師たちなどへのヘイト的な感情である。あえて詳しくは述べないが、到底インターネットに向いている人間からは発せられることのないような罵詈雑言が脳内で飛び交うようになる。

 

冷静に、かつ客観的に考えれば大勢に受け入れられるようなネタを思いつく(またはどこかから引用してくる)人間やキャラクター性のデフォルメなどによるいわゆるお約束を楽しめる人間、また多くの人に見てもらおうとありとあらゆる手段を尽くした人間の作品が大してうまくもないクセにサブカル気取ってできるだけ少ない文字情報量でイラストを投稿してみたり全く人のいない時間帯にひっそりイラストを投稿してみたりしている人間よりも評価されるのは当然である。この文章もさも自分が客観的なモノの見方ができるように装っているがその実悔しさから奥歯を噛み砕きながら書いている。

 

承認欲求自体はあっても別におかしなことだとは思わない。褒められたらうれしいじゃん、ってなモンである。褒められるために何かを作るというのもまあひとつの形としてアリだとは思う。私自身インターネットに触れるまでずっと基本的にひとりで閉じこもってコソコソネチネチシコシコと二次創作をしていたものをインターネットに投稿するというのを覚えた途端リアルタイムで反応が返ってくるのが面白くなりズルズルと続けてきてしまっているクチであるため、どこか他人の反応を見るために二次創作をしている面があるのも否めない。

ただ、Twitterで二次創作をするオタクをしていれば一度は見たことがあるであろう白ハゲお気持ち漫画のように承認欲求の強さの正当化と己の作品への評価の半強要だけはしたくないなあとは思っている。他者からの評価がその他のすべてを差し置いて最前面に出てきてしまったならそれはもう一旦創作から距離を置くべきだろうというのが持論である。

 

 

あーあ、寝て起きたら突然まっすぐきれいに線が引けるようになったりめちゃくちゃ面白いと自他ともに思えるようなストーリーが次から次へと思い浮かぶようになってないかなあ、と思うばかりだ。