ブレーキ

歴だけでいえばもう少し長いとはいえ4年5年ほどしっかりオタク用のアカウントを構えて色々見てきて、未だに引っかかるネタというか、つっかかりたくなる素材って落ちてるものなんだなと思うことが増えた。

具体例を挙げていくといらないトゲになるのでわざわざ挙げないけれど『このネタが擦られるのを何回も見てきているお前らオタクが異常』で〆られるまでがセットの議題ネタを何度も通り過ぎて、そこから何歩か下がったところにいたつもりになっていたけれど、自分も結構伝統ネタみたいなものを擦ってきているなとは思う。

 

3年ほど前、人間関係が面倒なことになっている人たちとそこそこ仲良くしており、ほぼ裏垢と化した鍵垢で複雑な人間関係を垣間見つつ時々無責任に茶々を入れていたことがあった。

私はその人たちがボロクソに言っている相手方をよく知らない(し、正直繋がっている側の人たちともそこまで仲良くなるつもりがなかった)ので、そんな非常識な振る舞いをするなんてカスに違いない、どうせキッズだろう、みたいな合いの手を入れて『公正な立場から味方してくれる第三者』の顔をしていた。

正直叩いたところでこちらにダメージが入らない全く面識のない第三者をサンドバッグにしてなぜか知らないが懐かれるならお得だしまあいいか、くらいの気持ちでいた。

 

急に冷めたきっかけはその人たちからの「尖ってて好きwww」みたいなリアクションで、ああ今自分は『尖り』をステータスにして、例えば無神経で心無いようなことを発信して減ったフォロワーを「振り落とされた」と表現するような、その程度の人間と仲良くしているんだ、みたいな反動が一気にきた。

 

こういう反動があったにも関わらず未だにオタクあるあるで挙がってくるような典型的なオタクを小馬鹿にしてみたり牽制かのようにお気持ちを並べてみたりしていて、そのたびに大人げないことをしているなあとは思う。思っているだけできれいになかったことにできていないのは、自分の中でどこかこれが正しいことだと思っていて、依存しているからなんだろうなと思う。

依存症は治療のためにその根源を断って体内から完全に毒気を抜く過程が入るけれど、私の場合何を断てば良いのかが不明瞭なので困る。

 

逆に聞くけど私が完全に隠居した感じの、肯定しかしない近所のおばちゃんみたいなオタクになったとしてそんなのと付き合うのって楽しいか??くらいに思っているけれど、自分をコンテンツか何かと勘違いして一挙手一投足を『発信』だと思っているオタク(その心がけ自体は大事なことだとは思うけれどニュアンスの差です)を散々小馬鹿にしておいて自分は「穿った見方からものを言う人間」くらいのポジションを目指そうとしていないと出てこない感情なので、矛盾から抜けきれない限りこのダブスタオタク叩きはやめられないんだろうな〜という予感がしている。

 

エンタメに昇華できていないとこの手の批判は面白くないし、引きが混ざった愛想笑いからそれを汲み取れないと周りから人がいなくなるまでずっとご意見番ヅラしてしまうと思うので、お前それおもんないよと一度しっかり釘を刺された方が良いのかなという気がしている。その時にはまた半泣きでここに帰ってきて長文を投稿すると思います。